忙しいとついイライラしてやさしくなれない・・・

でも、手抜き出来る事は手抜きして
私しか出来ないことをして心にゆとりを持てば
やさしくなれるんじゃないかな

美味しいお菓子を食べたり、大好きな楽器を演奏したり
自分の時間も大事にしたい

たった一度っきりの人生だもんね!

りょうちゃん先生誕生4

私のドリマトーン(電子オルガン)の先生「I 先生」は

私が行ってるスクールのドリマの先生のほとんどが
この先生の教え子と言っても過言でないくらいの先生で

「I 先生」に習ってると言うのがとても誇らしく

私もだけど、結婚・出産で一度休学した人達も
子どもが幼稚園くらいになったら、ぞくぞくと戻って来て

遠くにお嫁に言っちゃった人も、一ヵ月に一回とかレッスンに来たり

先生の指導を受けたい生徒が、今でも沢山います
(ちなみに・・・先生は私とおない年です)

当時はとても厳しかったけど、私はドリマトーンが好きで好きで

仕事から帰って時間さえ許せば、一日中でもドリマを弾いていました

その頃のカワイのスクールの所長さんが
よく私にカワイの講師にならないかと声を掛けて下さるのですが

幼稚園を辞めるつもりはさらさらないので~、と言っては
幼稚園やめたらおいでと言われ

今思えばありがたい事で

その話を「I先生」にしつつ
「私、音大も出てないしピアノ科でもないんで。。。」と
自信なげに話したら

先生は
「ピアノ科出た人やピアニストが、教えるのがうまいとは限らないのよ

カワイはそういう先生ばかりではなくて
あなたのように子どもと接するのが上手な人が欲しいんだと思うよ」って
言ってくださり

その言葉が私に自信を持たせてくれました

幼稚園の仕事は、結婚したら続けられそうにないなとずっと思ってましたので
結婚したら、辞めてカワイの講師になろうと思って

ドリマのグレードだけじゃなくて
ピアノの指導者グレードも取っておこうと
試験曲を「I先生」に見てもらって合格しました

指導者グレードは、その前に演奏グレードも持ってないと受けれなく
指導者グレードを持っていればカワイの講師になる資格があります

今は随分システムも変わっていると思いますけどね 

それからしばらくして夫と出会い、結婚し

一学期で退職する事は、教育委員会にも伝えてありましたので
新年度になる時に担任を外してもらっていました 

しばらくは、一時間ほど通勤時間をかけて幼稚園に勤めていましたが

夫も設計事務所に勤めていて朝から夜遅くまで仕事で

結局先に帰ってくる私に家事全般が押し寄せ
仕事と家事とでくったくた

帰って来ても、日案だの週案だの幼稚園の仕事は山積みで
帰りの電車内では爆睡の毎日

当時はまだ週休二日じゃないし(*´д`)=з


そして、幼稚園を退職してカワイの講師になったわけです


                               つづく。。。




りょうちゃん先生誕生3

短大は児童教育学科・幼児教育専攻で
幼稚園教諭と保母さん(今の保育士)の資格が取れるんだけど

大っきらいな先生がいて
その単位を取らないと保母の資格がもらえなくて

でも、もともと保母さんにはなる気がなかったので
その先生の講義を、あっさりぽい!

ただ、困った事が。。。

短大なので毎日9時から17時まで講義でびっしり

大抵はみんな両方の資格を取るので
その空いた時間に、一人で時間つぶししなくてはならず

ピアノの部屋(いくつかレッスン室があったので)が空いていれば
入って弾いていたりしてたな~

そして、歌のテストの時に
伴奏者を、それぞれ自分で選ぶということになっていて

なぜか私の伴奏は歌いやすいのか
クラスには私よりピアノの上手い子がいたのに、私に頼む子が多すぎて

私は別に苦でもなんでもなかったんだけど
一人何人までなんて決められたりして(かる~く自慢

2回生の時に、同じクラスの子に
合唱部の伴奏してもらえないかって頼まれて
1年間伴奏をさせてもらいました

宝塚歌劇を見に行っては、楽譜を買って来て
家で弾き歌いしてたから、伴奏には全然抵抗なかったですね 

でもこの時の合唱部の伴奏が
後々アンサンブルで皆と合わすということに
すごい影響してると思う

で、この頃クラスで一番ピアノの上手な子の家に遊びに行った時に
始めてエレクトーンを触って、私の中にインプットされてしまったんです

それで勤めてから、たまたま母と行った百貨店で
ドリマトーンのデモ演にくぎ付けになってしまったんです

またまた脱線Σ(°Д°;

で、無事短大を卒業して晴れて幼稚園教諭に(o^冖^o)

新任から担任持たされて
でも、ちっちゃい子供達がもう可愛くて仕方ない.。゚+.(・∀・)゚+.゚

結婚退職するまで8年間
その頃は1年保育だったので、7回の卒園式で
毎回 涙 涙で生徒たちを送りだし

いまだに年賀状もらって成長を感じながら
幸せな職業だよね

ほんと音大落ちて良かった(/∀\*)キャ)

幼稚園勤めながら
自宅に近いカワイの教室でドリマトーンを習い始めたのだけれど
どんどんグレードが上がって行くので

先生が自分の先生を紹介してくれて、週一回大阪へ行く事になりました
その先生が、今の私の先生です(☆゚∀゚)

この先生との出会いが
いまのわたし りょうちゃん先生誕生に大きく関わってくることになるんです

                       

                              つづく



りょうちゃんの淡〜い思い出

私は、短大1回生の夏休み
近くのボーリング場の喫茶でバイトしていました

ボーリングが全盛期のころで
プロボウラーの中山律子さんがいらして

私は会えなかったんですが
サインだけいただいたことがありました( *^▽^)

そのボーリング場のフロントにいたNさんが大好きで
Nさんは私より3才くらい年上だったと思います

私は好きになっちゃうと
一人でそっと恋心を秘めて....
ってのが出来なくて

好きです!とはストレートには言わないけれど
まわりにも本人にもすぐわかってしまうくらい
気持ちを態度で表してしまいます

Nさんとはシフトがすれ違いだったのですが

一度だけ私が、バイト終わって帰るころに
なぜかNさんが車でやって来て

伊丹空港へ連れて行ってもらったことがあります

お兄さんのようにやさしいNさんが
ほんとに大好きでした

夏が終わって、それ以上進展も何もなく
次の冬休みもそこでバイトをするのが
とても楽しみでした

ところが
母親とは鋭いもので
私の気持ちに気がついて

高卒だったNさんとのことを
猛烈に反対されました
反対ってのもおかしなもので
何にもないのに

それをいくら説明しても
今度会ったらもっともっと
離れられなくなる

そうなってからでは遅いと
バイトに反対する母を説得するのも疲れて

結局それっきり
バイトも行かずNさんとはさよならでした

そして幼稚園教諭になって1年目の
すごい雨の日

就職が決まったことを、年賀状で知らせていたようで
そのNさんから、幼稚園に電話がかかって来ました

2年ぶりの懐かしい声でした

近くまで来てて
私の幼稚園が近くなのを思い出したって
迎えに行くからって

もううれしくて仕方ないのに

ふと自分の格好を見たら

その幼稚園は
駅からな~んにもない所を
20分ほど歩かないといけなくて

ひどい雨だったので
汚れても良いような格好で
出勤していました

とても好きな人に会えるような格好ではなくて

今日は用事があるからって
断ってしまいました

あとにも先にも
Nさんからの連絡はそれっきりで

あの時会っていれば
何か変わっていたのか

ただお茶してばいばいだったのか
解りませんが


懐かしい事を思い出しました




りょうちゃん先生誕生2

そんなこんなで
中学3年間、た~らたらとピアノ習ってたわりには

おかしいって言うくらい進んで(*・з・)ぷッ/

たまたま進学した女子高は、私は普通科でしたが
1クラスだけ音楽科があり、中学から上がって来た子達のクラスでした

大学は音大しかなくて(その当時は)

ピアノの先生の友達が、その大学の先生で

なぜかは忘れたけど(笑)その音大を受ける事になって
そのお友達のT先生にピアノを習うことになりました

高校と大学は同じ建物の中で
私はお昼休みにた~っと走って行って、レッスンを受けていました

このT先生が、またすばらしく

レッスンの時はめっちゃ厳しくて
「今まで、何を練習してきたの!」って怒られるんだけど
きっちり教えてくれて

レッスン終わったら満面の笑みで、切り替えがすごくて

だからこのレッスンはあまり苦ではなかったな

なんとなく上の音大に進学するのに決めたは良いけど
何しろ中学から始めてるので、ピアノ科なんてとんでもなく

音楽学専攻なら推薦してもらえると言うので
勉強をがんばって

ピアノも学校休みの時は先生の自宅まで、電車で通い

その他、歌とか調音とか音楽史とか受験に必要なものを
別の芦屋の先生の所へ毎週日曜日に通って

その当時は
大阪万博会場の近くに住んでいたので、1時間ちょっとかかるのかな~

とにかく受験に向けての毎日でした

準備万端とまでは行かなかったけど、やるだけの事はやったのですが。。。。

口頭試問一個答えられなくて、受験失敗Σ(°д°lll)ガーン

ピアノでミスしたのなら、何とかしてあげれたんだけど。。
とピアノの先生も残念そうに

芦屋の先生は

こんなこと言うのもなんだけど・・・
落ちて良かったって。。。ええ~!

みんな小さいころからやって来て
あなたが、もし受かったとしても、スタートから出遅れて
その中で繊細なあなたは壊れてしまうのではと、心配でしたって

もっと、はやく言ってよ

え?繊細だったのかって?
そこ突っ込まな~い(笑)

ま~確かに
私は幼稚園に就職出来たけど
その時、音大に行った友達は、なかなか就職に困ってたから
結果は正解だったんだけど(*^_^*)A

話し もとい

で、音大落ちて
もう、な~んか ちから使いはたしちゃって
他の音大を受ける気力もなく、どうしようって思ってたら

T先生の生徒さんで
同じように音大失敗して幼稚園の先生になった人いるよって教えてくれて

そ~か~
子ども好きだし、ピアノも活かせるし(o^冖^o)

で、幼児教育学科のある短大へ行って、幼稚園の先生になったんです  
              




                                                                                   つづく。。。




りょうちゃん先生誕生1

私は小学校4年生くらいの時に、友達がしつこく誘うので
宝塚歌劇出身の先生に、クラシックバレエを習っていました

そのうち、バレエがとても気に入って
おまけに先生に連れて行ってもらった宝塚歌劇にハマってしまい
後々一公演に10何回と通う事になるのですが

その話は今日は置いといて

そんな大好きなバレエを
引っ越しをする為にやめなくてはならなくなって

でも私は、新しい所でまた
習わせてもらえると信じていたのですが

母にはぜんぜんその気はなかったらしく
「習いたい」と言う私の願いを、もののみごとに無視し続けて

とうとう私はそれ以後バレエを踊ることはありませんでした

今思うとやはりバレエはお金がかかる

妹はピアノを習っていて
オルガンしかなかった わが家にピアノが来て

母がピアノは習っても良いと言うので
ホントはピアノなんか習いたくなかったのに

妹だけピアノを触るのが腹立たしくて
私もピアノを始めました

中学1年の時です。。。おそ!

でもその当時は
まだまだピアノのあるお家は、ごくごくわずかで

習っている子もクラスで数えるほどでした

始めてのピアノの先生は、バイオリンが専門の先生で
バイオリンとピアノ 両方教えておられました

この先生
レッスン中はほとんどしゃべらない

ここを もっとこうしたら良いとか
よくがんばったねとか
もっと練習しなさいとか

何とか言えよって思うくらい何にも言わず
ただ弾いてる横でじっと聞いてるだけ

その頃はピアノがって言うより、練習するのが大嫌いで
ぽっちりぽっちり弾く私に、言う言葉もなかったのかも(*´д`)=з

そのくせちゃんと弾けてもいないのに、どんどん進むから
私は必死ですわね

嫌だったのは
妹がピアノに関しては先輩なんで

あの子は割と上手だったので
発表会で私の方がプログラム前で、妹がいっつも最後の方で

これが悔しくて
それがのちに電子オルガンへと私をのめり込ませたのかも。。。。

これは私の方がうまいしって(*^_^*)A

あ、でもね
あの当時化粧品のCMで
「乙女の祈り」の曲が流れていて

宿題の曲はちっとも練習しないで
この楽譜をお小遣いで買って来て、時間があれば弾いてたんです

なのでご近所で評判になっていて
「あ、またりょうちゃんが弾いてる」って

だから今
生徒に弾きたい曲を弾かせたいのかもね

                                  つづく。。。



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